【東京・上野】日本の近代技術の幕開け――万年時計(国立科学博物館 名誉研究員/佐々木勝浩)

東京・上野の国立科学博物館には、日本の科学技術史を象徴する一台の時計が展示されています。

それが、幕末から明治時代初期にかけて活躍し、「東洋のエジソン」とも称される発明家・田中久重(1799~1881)が約1年をかけて完成させた「万年時計(正式名称:万年自鳴鐘)」です。

万年時計は2006年に国の重要文化財に指定された、日本の科学技術史を語る上で欠かせない存在です。「万年」とは、一度ゼンマイを巻けば永久に動くという意味ではなく、季節や暦、天体の動きなど、一年を通して変化する多彩な情報を自動的に表示できることに由来しています。

今回は、国立科学博物館 名誉研究員の佐々木勝浩先生に、田中久重の生涯と、日本が世界に誇る技術遺産・万年時計の魅力について教えていただきます。

「万年時計」を製作した田中久重。のちの東芝の源流となる田中製造所を創設した、近代日本を代表する技術者のひとり。

画像提供:株式会社東芝

国立科学博物館に展示される万年時計

国立科学博物館。1877(明治10)年創立、日本を代表する総合科学博物館。自然史・科学技術史に関する貴重な資料を数多く収蔵・展示。上野本館の日本館は、昭和6(1931)年に建てられた歴史的建築で、平成20(2008)年には国の重要文化財に指定されている。

撮影:佐々木勝浩

JR上野駅公園口を出て、ロダンの「考える人」像を眺めながら国立西洋美術館の角を右に折れると、国立科学博物館の茶色い建物が見えてくる。

蒸気機関車D51の脇にある鉄のアーチをくぐって階段を下り、入り口から博物館へ入る。改札を抜け、左奥のフーコーの振り子を見ながら階段を上ると、日本館中央ホールに出る。ホール左側(南翼フロア)の入り口を入ると、真っ先に目に飛び込んでくるのが、今回紹介する万年時計だ。

このフロアは「自然を見る技」をテーマとし、天文暦学、地震学、気象学、時と時計、鉱山文化の各コーナーに、日本の近代科学技術の幕開けについて、資料を中心とした展示が展開されている。万年時計は、それらの内容を象徴するアイキャッチなのだ。

万年時計の展示コーナー。現存する万年時計をはじめ、内部の機構が分かる復元模型、工芸部分の復元サンプル、さらに田中久重のその他の作品などが展示されている。

撮影:佐々木勝浩、協力:国立科学博物館

万年時計とは何か

国立科学博物館に展示されている、江戸時代末期の1854(嘉永7)年頃に田中久重が製作した万年時計。大小約1000個の部品からなる精巧な歯車機構を備え、強力なぜんまいによって動く。

撮影:佐々木勝浩、協力:国立科学博物館

万年時計は、「東洋のエジソン」とも称される田中久重(1799~1881)が、約1年をかけて1851(嘉永4)年に完成させた、高さ約83cmの大型和時計である。

時計は六角形の台座の上に六面の文字盤が載り、頭頂部にはガラスドームに覆われた太陽と月の動きを示す装置「天象儀(てんしょうぎ)」が取り付けられている。六面の文字盤は、正面の割駒式文字盤から左回りに二十四節気文字盤、七曜文字盤、十干十二支文字盤、ムーンフェイズ表示と月の日付け文字盤、そして西洋文字盤の順に取り付けられている。

見どころは、まず正面の割駒(わりこま)式文字盤だろう。「割駒」とは、文字盤の時刻を示す駒(目盛り)の位置を季節に応じて動かし、昼夜で長さが異なりそれが季節的に変化する日本古来の時刻制度「不定時法」に対応させる和時計の方式のひとつである。万年時計では、この割駒が自動で動く点が特徴であり、自動化された数少ない和時計の例として知られている。

季節によって自動で修正される「自動割駒式」を採用した万年時計の文字盤。文字盤が24時間で1回転し、12時位置の固定指針で各時刻を示す。内側には二十四節気の目盛りがあり、中心の指針で各節気を示す。

画像提供:株式会社東芝

頭頂部の天象儀は、盤上に描かれた日本の地形図の上を、太陽を示す赤色の球と、月を表わす銀色の球が実際の太陽と月の動きに合わせて巡り、地平線から昇り、沈んでいく様子も示すようになっている。

また、万年時計全体に施された装飾も見事と言う外はない。頭部の文字盤周りの唐草文様毛彫り彫刻、飾り柱の麻の葉文様の透かし彫り、六角形の台座上面を飾る麻の葉文様の金蒔絵、台座側面に取り付けられた色鮮やかな有線七宝、そして万年時計全体に施された緻密な螺鈿装飾、それらが一体となって最高の美術工芸品としての輝きを放っているのだ。

左/「立春」「雨水」「啓蟄」など二十四節気の名称と、それぞれの節気を迎える日付を記した文字盤。一年を二十四に分け、季節の移り変わりを表す暦を示している。二十四節気の日付は、旧暦(太陽太陰暦)では年によって異なるので、年ごとの日付を小筆で書き込むようになっている。

右/「日曜」「月曜」「火曜」など七曜を示す文字盤。中央の指針は1日あたり7分の1回転し、七曜目盛りを指す。指針の軸には7歯の星形歯車が取り付けられ、数取り車のレバーが1日(数取り車1回転)ごとに歯を1つ送ることで、指針は毎日ひとつずつ次の曜日へ進む。外周の丸い割駒文字盤も数取り車と連動して回転する可動式で、時打ちの数に合うようになっている。

画像提供:株式会社東芝

左/「甲・乙・丙……」の十干と、「子・丑・寅……」の十二支を組み合わせた、十干十二支の文字盤。昭和44年頃の分解調査で描かれた歯車構成図によれば、中央の指針は12日で左回りに1回転しながら内側の十二支目盛りを指す。一方、十干目盛りは10日で右回りに1回転し、この二つの異なる回転が組み合わさることで、その日の十干十二支を表示する仕組みになっている。

右/1日から30日までの日付が並ぶ月齢文字盤。30日固定ではなく、大の月・小の月に応じて人の手で調整していた。『萬歳自鳴鐘圖辨』によれば、月替わりにはガラス蓋を開け、爪楊枝で指針を動かして日付を修正したという。また、月球による満ち欠けの表示に生じるわずかなずれも、表示盤の隅にある「つまみ」を回して合わせる仕組みだった。歯車だけで完全に自動化する方法もあったが、久重はあえて手動調整を取り入れたと考えられる。

画像提供:株式会社東芝

左/現在万年時計に組み込まれている西洋時計は、完成当初のものではない可能性がある。久重が発行した『萬歳自鳴鐘』や使用法を記した『萬歳自鳴鐘圖辨』には「和蘭フラス之地(時)盤」「和蘭フランスノ時計ナリ」と記されており、当初はオランダ製またはフランス製のセンター・セコンド式、シリンダー脱進機の懐中時計が組み込まれていたと考えられる。一方、現在の時計は、明治時代の修理でスモール・セコンド式、レバー脱進機の懐中時計(イギリス製とみられる)へ交換されたものと推定されている。

右/天頂部に設けられた「天球儀」。縦に立っている輪は京都の「子午線」を、横方向に見える赤い輪は、太陽が通る位置を示す「天の赤道」を表す。太陽と月を表す赤と銀色の二つの小球は、時計の動力によって自動的に動く。天球儀内部のプレート自体も回転し、太陽は約1年(365日)で1周、月は太陽に対して約29.5日周期で動くように設計されている。

画像提供:株式会社東芝

田中久重の活動の足跡

江戸末期から明治にかけての激動期を走り抜けた久重の足跡について触れることにしよう。久留米のべっ甲職人の長男として生まれた久重は、幼少期よりからくりの才を発揮して人々を驚かせ、「からくり儀右衛門」と呼ばれた。

「開かずの硯箱」をはじめ、五穀神社でからくりを披露し、久留米がすりの織り機に改良を加えた久留米時代。20代半ばからは大阪、京都、江戸など各地を回り、自作の水からくりや独楽からくりを披露して喝采を浴びた全国興行時代。1834年、36歳で大阪に工房を構え、懐中燭台の発明で大当たりした大阪時代。そのわずか3年後の1837年には京都・伏見へ移り、無尽灯を発明しただけでなく、土御門家の門をたたいて天文暦学を修めた京都時代へと続く。

田中久重が江戸時代後期に製作した携帯用のろうそく立て「懐中燭台」。折りたたんで持ち運ぶことができ、使用時には安定して立てられる工夫が施された。国立科学博物館展示。

撮影:佐々木勝浩、協力:国立科学博物館

田中久重の発明品の数々。右から、携帯用のろうそく立て「懐中燭台」、少ない油で明るく長時間灯すことができる照明器具「無尽灯」、太陽や月の動きを模型で示す天文観測器「視実等象儀」。国立科学博物館展示。

撮影:佐々木勝浩、協力:国立科学博物館

久重は、優れた工芸師に与えられる称号「近江大掾(おうみのだいじょう)」(江戸時代の職人に許された名誉称号)を授けられた。また、仏教的な宇宙観を表す天象儀「須弥山儀(しゅみせんぎ)」や、天文と暦を表示する「万年時計」を完成させた。工芸師たちが集まる京都・四条烏丸に「機巧堂」を開いたのはこの頃ではなかったか。

暦を表示する「枕時計」、鯉が滝を登る仕掛けを備えた「竜門時計」、正時になると鶏が鳴く「太鼓時計」などの和時計や、「弓曳童子」などのからくり人形も、この時期の久重を代表する作品である。

左/暦を表示する枕時計、月の満ち欠け(ムーンフェイズ)と十干十二支暦を表示する枕時計。右/舞人形のからくりを備えた六角形文字盤の置時計。 いずれも銘はないが、田中久重の作と伝えられている。国立科学博物館展示。

「太鼓時計」と呼ばれた置時計。撮影:佐々木勝浩、協力:国立科学博物館

「太鼓時計」と呼ばれた置時計。正時になると太鼓を打ち、ニワトリが鳴いて時を知らせるからくりを備える。国立科学博物館展示。

撮影:佐々木勝浩、協力:国立科学博物館

その後、佐賀藩の製錬方に招聘され、蒸気機関や大砲などの開発に携わるとともに、蒸気船や蒸気機関車の模型を完成させた。明治時代を迎え、東京・銀座に製造の本拠を移してからも、久重の発明の勢いは止まらなかった。この時期に取り組んだ電話機や報時器は、将来のエレクトロニクス時代を先取りするものだった。常に時代の最先端を追求し、人々を楽しませるという思想は、久重が芝浦で創業した田中製造所から、その後の芝浦製作所へ、さらに現在の東芝へと受け継がれていくのだ。

万年時計復元・複製プロジェクト

2004(平成16)年、国立科学博物館と株式会社東芝を中心に、セイコーインスツル株式会社(現・セイコーソリューションズ株式会社)の技術スタッフ、東京大学生産技術研究所および京都大学の研究メンバーが加わり、「万年時計復元・複製プロジェクト」がスタートした。本プロジェクトは、国立科学博物館が申請した大型の科学研究費補助金をもとに実施された研究事業の一環として進められた。

万年時計は、まずセイコーインスツルの技術スタッフによって分解された。続いて、各部品を自動計測器で測定し、そのデータをもとにデジタル処理によって複製用の詳細な図面が作成された。機構の分析は東芝の研究スタッフが、万年時計を駆動するゼンマイや工芸部分の分析は京都大学がそれぞれ担当した。また、作業の節目ごとにNHKの撮影が行われ、復元・複製の過程が記録された。その映像は後に、NHKハイビジョン特集『万年時計~江戸時代の天才が生んだ驚異の機械時計』として放映された。

画像提供:株式会社東芝

工芸部分の製作は、京都の木工、彫金、螺鈿、蒔絵など、それぞれの分野を代表する工芸師たちが担当した。現在では使われなくなった工芸技術も、電子顕微鏡やX線マイクロアナライザーなどを駆使した分析結果をもとに、可能な限り当時の技法で再現された。その一つは、螺鈿細工に用いられた、貝片の裏に銀箔を貼る「裏打ち」という、現在は使われていない技法である。螺鈿師の方の言葉を借りれば、「祖父の時代に使った、ということを聞いたことがある」という、すでに失われた技術だった。

2005年、多くの人々の力を結集して複元された万年時計は、名古屋で開催された愛知万博「愛・地球博」のグローバルハウスで公開され、まるで青白い清楚な貴婦人のような姿を見せていた。それは、百数十年の時を経たオリジナルとは異なる、銀で裏打ちされた螺鈿細工が醸し出す、製作当初の万年時計の姿を思わせるものだった。

複製された万年時計は、その後、川崎市の東芝未来科学館に展示された。

左/田中久重が嘉永4(1851)年に製作したオリジナルの万年時計。国立科学博物館展示。

右/オリジナルを科学的に調査し、失われた機構や工芸技術を再現して製作された復元時計(「万年時計復元・複製プロジェクト」)。東芝未来科学館展示。

画像提供:株式会社東芝

結び

担当した各分野の工芸師たちをまとめていた方の言葉を紹介したい。「京都の工芸技術は地下を流れる地下水のようなものだ。地下の水が地上に湧き出すように、眠っていた過去の技術が吹き出すのだ」。久しく眠っていた数々の工芸技術は、万年時計の複製という絶好の機会を得て、再び表舞台によみがえったのである。

田中久重は、日本の科学技術を江戸から明治へと橋渡しし、日本の近代技術発展の礎を築いた人物である。そして万年時計は、その卓越した技術力を今に伝える歴史遺産である。同時に、失われた科学技術や、工芸技術をさぐり、未来へ受け継ぐための「情報の宝庫」なのだ。

今回ご紹介した場所

国立科学博物館

日本の自然史と科学技術の歩みを伝える、日本を代表する総合科学博物館。本記事で紹介した田中久重の「万年時計」(重要文化財)は、日本館1階南翼「自然を見る技」コーナーで展示されている。

所在地

〒110-8718

東京都台東区上野公園7-20

アクセス

JR「上野駅」公園口から徒歩約5分。東京メトロ銀座線・日比谷線「上野駅」、京成線「京成上野駅」から徒歩約10分。

見学情報

常設展開館時間:9:00~17:00(入館は16:30まで)。月曜休館(祝日の場合は翌平日)。万年時計は日本館常設展示で見ることができる。

公式ウェブサイト

https://www.kahaku.go.jp

この記事を執筆いただいた専門家

佐々木 勝浩(ささき かつひろ)さん

国立科学博物館 名誉研究員

1971年、東京理科大学大学院理学研究科修士課程修了、修士(理学)。

1978年に国立科学博物館 理化学研究部研究官となり、28年にわたって同館に勤務。専門は科学技術史(時刻測定の歴史、和時計、日本の時刻制度)。理工学系歴史資料、特に日本の時刻測定・時計に関する歴史資料の収集・調査・研究に携わった。「和時計における不定時法自動表示機構」(国立科学博物館研究報告E類)をはじめとした時計に関する十数編の論文がある。

これまで携わった図書としては、監修『週刊・和時計を作る』第6~60号(デアゴスティーニ)、翻訳・共同監修『世界で一番美しい「もの」のしくみ図鑑』(創元社)、共著として『時間の日本史』(小学館)などがある。