私たちは毎日、スマートフォンの時計を見て、電車の時刻を確認し、約束の時間に合わせて行動しています。しかし、その「正確な時刻」がどこで、どのように作られているのかを知る人は多くありません。
日本の標準時を決め、その精度を守り続けているのが、東京都小金井市にある情報通信研究機構(NICT)です。長年この分野に携わってきた細川瑞彦先生に、日本標準時と標準電波が支えてきた「日本の時」の歩みを伺いました。

写真提供/国立研究開発法人 情報通信研究機構NICT(エヌアイシーティー)
日本標準時を支えるNICT
日本の標準時を維持・管理 し、社会へ通報しているのは、国立研究開発法人 情報通信研究機構(NICT)である。
NICTは日本全国にいくつも施設を有しているが、その本部は東京都の多摩地区にあり、小金井市と小平市にまたがっている。このうち、日本標準時に関連する施設は小金井市の貫井北町にある。小金井市では、標準時を担うNICTが市内にあることを市役所や市内のさまざまな機関がアピールに使ってくださり、時にはそれらの機関とNICTが行事等で連携することもある。
NICTでは、日本標準時が世界のトップレベルにあり続けるために、標準時の維持・管理だけでなく、高精度な原子時計や、精密な国際時刻比較などの先端的な研究開発も行っている。
筆者は1990年に、NICTの前身の一つである郵政省通信総合研究所(CRL)に入所した。1994年に標準計測部時空計測研究室へ異動して以来、周波数標準課や原子標準研究室などに所属して、さまざまな形で日本標準時や時間、空間の計測研究に携わってきた。現在は退職して客員研究員となっている。
私が入所した1990年代初めは、原子時計の精度は優れたもので13桁、つまり約30万年に1秒の不確かさといわれていたのだが、気がつけば原子時計、そして日本標準時の精度は、14桁、15桁、さらに16桁と、その当時よりも大幅に向上してきている。
※編注:本文の「13桁」「14桁」「15桁」「16桁」は、時計の精度を表す尺度です。「13桁」は、10⁻¹³(10兆分の1)前後の精度を指し、1兆分の1未満から10兆分の1程度までの範囲を表します。3年がほぼ1億秒となることから、10兆分の1を時間に換算すると、約30万年に1秒が一つの目安となります。さらに精度が高くなると「14桁」「15桁」「16桁」となり、それぞれおよそ300万年に1秒、3000万年に1秒、3億年に1秒という精度が一つの目安となります。

国立研究開発法人 情報通信研究機構NICT(エヌアイシーティー)提供
性能向上の技術的な要因はさまざまだが、大きな要因のひとつは、レーザー技術が発達し、それが原子時計に持ち込まれたことである。原子時計は、原子に電磁波を照射して、時計の基準となる量子遷移(「時計遷移」と呼ばれる)が起こる周波数を探し当て、その周波数を時計の振り子に相当する基準として時間を測る。
1990年代初めまでの原子時計では、磁石を使って多くの原子の中から時計遷移を起こす量子状態の原子だけを選び出し、残りは捨ててしまう、というやり方をしていた。ところがレーザー技術の発展により、原子の量子状態を自在に制御できるようになり、すべての原子を時計遷移が起こる状態に揃えることが可能になった。
この技術を使った原子時計は「光励起型」と呼ばれ、原子を無駄なく使えるため、測定の不確かさの原因となる雑音との比(SN比)が向上し、時計の精度が上がった。1990年代前半には実用化が進み、15桁の精度が実現している。

国立研究開発法人 情報通信研究機構NICT(エヌアイシーティー)提供
さらに「レーザー冷却」という技術が現れ、レーザーで原子の熱を奪い、動きをほぼ止めることが可能になった。それまで熱されて光速で飛ぶ原子に電波を当てていた方式に代わり、動きを止めて人工の噴水のように原子をゆっくり打ち上げて測ることで精度を上げるものだ。これは「原子泉型」と呼ばれる原子時計で、さらに16桁が達成された。こちらは1990年代末くらいから実運用が始まっただろうか。
当時、これらの技術はアメリカ、ドイツ、フランスなどの研究機関が世界をリードしており、NICT(前身の通信総合研究所を含む)の原子標準研究室では、「世界に追いつけ」と室員一丸となって研究開発と運用に励んだことが思い出される。
そんな時代からさらに進んで、現在では光格子時計などさらに新しい技術が登場している。最新の日本標準時のシステムと研究成果は、いずれ現役の研究者らに語っていただければと思うが、本稿では、長年、日本標準時と時空標準の研究に関わってきた筆者自身の体験や、諸先輩から聞きかじった昔話を紹介したい。
標準電波は小金井市から送信されていた

『標準電波50年の歩み』より
私が入所した通信総合研究所(CRL)の前身である電波研究所は、もともと無線通信のための周波数標準を提供する役割を担っていた。その手段が「標準電波の発射」である。この業務はさらに遡って1940(昭和15)年に逓信省が始めたことであり、その後、第2次世界大戦後に組織再編で新たに組織された電波研究所を経て、現在はNICTへと引き継がれている。その後、標準電波には周波数の基準だけでなく、日本標準時の情報も載せて発射されるようになったのだが、今に至る複雑な経緯には今回は触れないでおこう。
標準電波は1940年から発射され続けている。運用開始までには10年以上にわたる試験が重ねられ、当初は海外製の水晶発振器を基準として用いていたそうだ。
最初の発射地は千葉県の検見川町(現在の千葉市)に設けられた。その後、標準時の情報をより正確に送信するための研究開発が進み、1948(昭和23)年8月からは標準電波による標準時の通報も始まった。これに伴い、標準時通報の精度を高めるため、当時、標準時を決めていた三鷹市の東京天文台(現在の国立天文台)から近い小金井市へと送信施設を移転することになった。検見川からの移転完了は1949(昭和24)年のことである。
移転先は小金井市といっても市の西端にある現在のNICT本部(貫井北町)ではなく、市の東寄りであった。標準電波の信号発生や制御と位置管理、さらに関連する研究開発まで行う周波数標準所 兼 標準電波発射所は緑町(現在は東京都立小金井北高等学校がある場所)に置かれ、アンテナのある送信所は、隣接する梶野町に設けられた。
その施設が業務ごと、国の組織改編によって発足した郵政省電波研究所へ引き継がれたのは、1952(昭和27)年8月のことである。つまり小金井市は、日本標準時を維持・管理する機関の所在地であるだけでなく、周波数標準と、標準時情報を載せた標準電波が発射されていた地でもある。移転当時の小金井市は、まだ市ではなく東京都北多摩郡小金井町であって、それほど人口も多くなく、強い電波を出すことにも大きな支障はなかったと聞く。それが1958(昭和33)年に小金井市となり、高度経済成長の波の中で人口が急増し、1960年代の半ばごろから送信所周辺にも住宅が増えてくると、テレビやラジオの受信障害が発生し始めて、新たな地への移転が議論されることになったという。

『標準電波50年の歩み』より

『標準電波50年の歩み』より
緑町時代の研究所
さまざまな議論と準備を経て、標準電波送信所が新たな地へ移転し、運用を開始したのは、1977(昭和52)年12月のことである。
移転までの緑町の敷地では標準電波送信所のほか、原子周波数標準器の開発や、時間・周波数計測を研究する研究室も一緒になった周波数標準部が置かれ、その中の標準電波課が標準電波の運用を担当していた。しかし。送信所の移転に先立ち、周波数標準部は組織ごと貫井北町の本所に移転することになった。その移転が完了したのは1975(昭和50)年のことだそうだ。
私が通信総合研究所に入所した1990年には、緑町時代を知る先輩方がまだ多く在籍していて、その方々から緑町の研究所での様子を聞く機会が少しあった。当時はかなりの職員がいて、係対抗のソフトボール大会なども開かれていたそうだ。標準電波はいくつもの周波数で送信され、当初は一定時間のみ送信されていたのだが、1950年代半ばからは法令に基づき、24時間発射となる周波数が増えていった。そうなると当然、標準電波課の運用者の中には夜勤の人が出てきて、すると昼は非番となることもある。緑町の敷地内にはテニスコートや休憩室もあり、職員の多くは、テニスと囲碁を楽しんでいたそうだ。その文化は移転後の貫井北町でも引き継がれ、私が入所した頃にも、先輩たちの中にはテニスや囲碁の達人が多くいた。
もちろん、標準電波の送信という国の重要な業務には大きな責任が伴い、ひとたび支障が起きれば大変なことになる。それは私も何度か経験した。一方で、何事もなく運用できている時には、けっこう牧歌的な日常がそこにはあったらしい。

『標準電波50年の歩み』より
名崎送信所と2000年問題
さて、小金井市緑町から移転した標準電波送信所の新しい送信地は、当時、日本電信電話公社(電電公社)が運用していた名崎送信所(茨城県古河市、当時は猿島郡三和町)であった。緑町では周波数標準部の職員が直接管理と運用にあたっていたが、名崎では送信業務が電電公社に委託され、標準電波の管理・制御は小金井の本所から遠隔操作で行う無人局となった。
筆者も何度か業務で名崎送信所を訪問した。そこは、多数の国家機関や通信社などの無線送信設備を運用する巨大な送信施設で、標準電波の設備はそのごく一部、というイメージがあった。この名崎送信所が、映画『ガメラ2 レギオン襲来』(1996年公開)の舞台の一つとなったのには驚いた。
だが筆者には、それ以上に名崎送信所で忘れられない思い出がある。1999年から2000年へと年が変わる際、デジタルシステムにトラブルが起きるかもしれないと騒がれた「Y2K問題(コンピューターの西暦2000年問題)でのことだ。当時は、西暦が2000年になることでコンピューターが誤作動を起こし、社会インフラにも影響が及ぶのではないかと世界中で懸念されていた。

『標準電波50年の歩み』より
標準時や標準電波に問題が起きれば社会への影響は大きいため、当時、標準時と標準電波を担当していた周波数標準課でも警戒体制を敷いた。その頃、同課の一員だった筆者は、同僚と二人で名崎送信所の担当を命じられた。1999年12月31日の大晦日の夕方に、JR古河駅を降りてレンタカーを借り、一晩籠城するための食料などを買い込んで名崎送信所に向かった。万一システムに異常が起きた場合には、人の手で送信設備の電源を切り、誤った標準電波が送信されることを防ぐためである。
普段は無人の標準電波局には、テレビ信号をモニターするための設備のおまけ?として、小さな白黒テレビが1台あるだけ。そのテレビで同僚と「NHK 紅白歌合戦」を眺めながら、まず緊張の2000年午前0時を迎え、何事も起こらず一安心した。その後は備品の長椅子で就寝。そして起床後の午前9時が次の関門、世界標準の時刻である協定世界時(UTC) の、2000年午前0時である。そこでも何もトラブルはなく、システムは正常に動き続けた。
ようやくほっとして、持ち込んだ荷物を片付け、送信所を後にした。そして元旦のJR宇都宮線に乗って帰宅した。結果としてY2K問題によるトラブルは何も起きなかったのだけれど、ドキドキしながら自宅を遠く離れたところで2000年の始まりの一夜を過ごしたことは、忘れられない出来事である。
短波から長波へ、標準電波の進化
さて、標準電波は検見川から名崎に至るまで、5MHzや10MHzなど、全て短波帯に属する周波数で送信されていた。短波は、上空の電離層で反射されることで遠くまで届きやすく、広い範囲で受信できるという利点があった。一方で、電離層の状態によって電波の伝わり方が変化するため、安定した時刻情報を届けるという標準電波の役割においては課題もあった。その後、標準電波は電離層に頼らず地表を伝わる成分が多い40kHz、60kHzの長波へと切り替えられ、名崎からの標準電波送信は2001年3月31日をもって終了した。
この辺りのことはまた長い話があるので、別の機会があればそちらに譲りたい。なお、標準電波には「JJY」という呼び名が付けられている。これは、電波を発信する施設を識別するための名称(コールサイン)で、短波時代から現在の長波標準電波に至るまで、一貫して使用されている。JJYは、日本の正確な時刻を届ける標準電波の象徴的な存在でもある。
東京都小金井市貫井北町にあるNICT本部には現在、一般向けの展示室があり、情報通信に関する業務や研究活動が紹介されている。標準電波や日本標準時に関する展示も見ることができるので、興味のある方にはぜひ訪れていただきたい。
開館時間は平日の9:30~17:00(受付は16:30まで)で、入館は無料。現在は事前予約制となっているが、予約状況によっては当日の見学も可能である。詳細はNICT本部展示室の案内をご覧いただきたい。

国立研究開発法人 情報通信研究機構NICT(エヌアイシーティー)提供
参考文献
『標準電波50年の歩み』郵政省通信総合研究所標準計測部(1991年3月発行)
今回ご紹介した場所
国立研究開発法人 情報通信研究機構(NICT)本部
日本標準時を支え、正確な「時」を社会へ届けている国立研究開発法人 情報通信研究機構(NICT)。東京都小金井市にある本部では、日本標準時に関する研究や展示を見ることができます。
所在地
〒184-8795
東京都小金井市貫井北町4-2-1
アクセス
JR中央線「武蔵小金井駅」または「国分寺駅」からバスで約10分。「情報通信研究機構前」下車、徒歩約2分。
見学情報
NICT本部展示室では、日本標準時をはじめ、NICTの研究成果や歴史資料を紹介しています。入館無料(事前予約制)。
https://www2.nict.go.jp/publicity/exhibition/exhibition_room/hq/index.html
この記事を執筆いただいた専門家

細川 瑞彦(ほそかわ みずひこ)さん
情報通信研究機構NICTナレッジハブ 上席客員研究員
1988年、東北大学大学院理学研究科修了、博士。
1990年、郵政省通信総合研究所(現、国立研究開発法人情報通研究機構)へ入所。以来、精密時空計測における相対論効果の研究、日本標準時の維持管理、原子時計の開発などに従事。
2008年から20II年までアジア太平洋計量計画で時間周波数技術委員会委員長、2012年から2015年まで国際天文学連合時間委員会委員長を務める。
20I6年、情報通信研究機構理事に就任、2021年より主席研究員、2026年より現職。
共著に『天体の位置と運動』(日本評論社)、『時間の日本史』(小学館)など。
研究者を目指したのは、世界や宇宙の基礎原理を知りたくて物理を専攻したことから。

調整済み880-300x200.jpg)

